遠山にのこっていたシコクビエ    

 最近になってにわかに、シコクビエ(遠山ではコウボウビエと言った)が、見直される

ようになりました。

 シコクビエは、昔はかなり作られていたようですが、世のなかが進歩するにつれ、いま

では日本の村々からすっかり姿を消してしまったとされております。

 それがどうして、こんなにさわがれているかと言うと、シコクビエをもとにして、新し

い作物をつくる研究が学者たちの手によって、進められているからだと言います。

 ところがわが国で栽培された作物で、このシコクビエほどたくさんの呼び名をもってい

るものは、めずらしいそうです。たとえば、ヤッポキビ、カラッペー、チョウセンビエ、

センビエ、コウボウビエ等々です。

 なぜこのこのように、土地によっていろいろに呼ばれているのか、そのいわれはいくつ

かあるでしょうが、その一つはこの作物があわ、きび、ひえのいずれでもないことがあげ

られます。

 シュクビエはオヒシバのかわったもので、主食とされた前記のヒエとは全く違った作物

なのです。

 ですからこのシコクビエは、租税の対象にもならず、本に記録されることもなく、谷から

谷へとひそかに伝えられ、ひっそりと栽培されていたと言われています。

 南信濃村でも昭和のはじめ頃までは、よくこのシコクビエを見かけたものですが、戦後はす

っかりかげを消してしまいました。

 しかし、上村の下栗では、このシコクビエが細々と栽培されていたのです。

 最近になって、ある農業の雑誌に、このことがのると全国からたねの注文が、あってテン

テコまいをしたということです。

 ところで遠山地方では、このシコクビエをコウボウビエとよんだことは、前にものべたと

おりですが、これについて、こんな伝説が、下栗には伝えられております。

『コウボウビエハは、コウボウ大師さまが、四国から持ってきたということだ。ところがコ

ウボウさまは、道を歩いているうちにオナラをしたので穂がひらいて出るようになったちゅ

うことだ』

 これがつくりばなしにしても、このヒエが四国がふるさとで、コウボウビエとよばれるよ

うになった、いわれが少しはわかるような気がいたします。

 下栗にのこっていた、このシコクビエが、いつの日か新しく生れかわって、全国の農家に栽

培されるようになるかも知れません。

                       
あとがき